皆さん知っての通り、世の中に完璧な人間なんていない。
完璧を目指す。
でも、完璧っていうのはその人の価値観によって決まるわけで、僕にとってあいつは完璧だと思ったら、そいつは完璧な人間であって、僕にとって僕は完璧な人間だと思ったら、はい、それまぁでぇよぉ~ってことになる。
ってことはだ。完全体が、不完全なものであったとしたらその不完全は完璧なものとなるわけだ。
だからと言って、結局それになることは容易くはない。
例え不完全さを売りにしていたって、それを極めるってのは、何らかの不具合も伴ってきて困難なものだ。

よーく思い出してみよう。僕の背骨には「適当」と言う二文字がある。
人生適当。これを主軸に生きているみたいだ。みたいだってのは本人にはあまりわからないから。

さて、この「適当」って言うのは、中途半端とか、大雑把って意味ではない。その場その場で、適した行動をとるってことだ。判断基準は自分。世間ではない。こいつを、やりつづけるのは結構辛い。言ってしまえば、自分が思った通りに行動するってこと。
だからと言って頑固に我が道を行くと言うわけではなく、人の話を聞いて、噛み砕き、吟味、後に消化、排泄と言う工程もちゃんと踏む。

けしてジャイアンではない。