激動の21世紀!

JR福知山線電車事故より得られること

福知山線で電車の脱線衝突事故があったことは国民レベルで認識されている。
家族や知人が死んでしまった人たちにとって、JR西日本側が何を言っても納得しないだろう。
過ちを犯した側は明確で、それは、体制側であり一個人レベルではない。車掌やら運転手とかではなく全体としての個である。
置き石という責任逃れの発言をしてしまい、いとも簡単にそれについて否定された時点で、JRの信用は奈落へ。
鉄道安全神話が意図も簡単に崩れた瞬間でもあった。鉄道マニアの皆はガックシだろうな。裏切られた気分だったろうな。もちろん裏切られた人は鉄道マニア以外にも沢山居る。

でもさ、あの電車に乗らないと仕事や学校や町に行けない人たちはこれからも信用は崩れたけれどJRを信じて乗らなければならない。
信じるしかねぇーんだよ。それしか生きていけないんだもん。
会社を変えたり学校を変えたりして、逃げるのは簡単だけどさ、すべてを投げ出してそこまですることなんか出来ないし、そこまで過剰にもなれない。
信じるしか無い。
疑心暗鬼で電車に乗るだろうけど、根底では信じるしか無いってわかってるはず。

何が言いたいのかわからなくなってきた。

まぁ、何にせよ、過ちを犯したJR側は、せいぜい誠意のある行動をとって一日も早く信用を回復させること。
裏切られた側は、今はとりあえず信じるしか無いんだ。
そして、暗い事件は消化吸収した後、忘れるこった。

んで、今を見ることだな。