前にも書いた通り僕はいじめられっ子だ。
いじめられていたのは小学校小二から小六の時だったんだけど小五の時に少しだけいじめられていない時期がある。いじめていた奴らは他の標的を見つけたらしく、フレッシュなそいつに矛先が向いて僕はいじめられなかった。ある日、その子がいじめられていた。僕も自分がまたいじめられるのが嫌だったので少し加担した。その時、その子の友達が怒って殴ってきた。「お前がやられたらどんな気分だ?」って言いながら。殴り合いの喧嘩になった。何故他の奴を殴らずに俺だけ殴ったのだろうか?「お前はいじめられている奴の気持ちがわかるはずだ」って意味ではないのは確かだ。なぜならそいつは僕をいじめていたからだ。そんな奴にこんな事言う資格は無い。その後僕はまたいじめられる事となる。
このいじめられていた子は勿論僕をいじめていた。
そして、この怒った奴は、みんなからは尊敬のまなざしを受けていた。異議申し立てがしたい。俺はいじめられていたにもかかわらず殴られ、しかも、またそいつらにいじめられた。小学校という人格形成時にこの事は僕の中で多大な影響を与えた。こいつは、偽善としか言いようが無い。こういう正義感が大嫌いになった。

偽善も正義感も糞食らえです。